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Posted by 滋賀咲くブログ at

2012年03月19日

語学のセンス。

 私の敬愛する佐藤優先生は「語学にはセンスが必要。」と言いきっておられます(´・ω・`)
 ある日、うちの旦那に、「ねぇねぇ、語学ってセンスあると思う?」ときいたら「そら、あるにきまってんじゃん」とのこと(´・ω・`)
 センスでなく、努力でカバーできるんだ!と個人的には思いたいです。

 が。
 ある部分ではやっぱり必要だと感じます。
 それは「耳」の部分です。

 さっぱりロシア語が上達しないことにそれなりに業を煮やした私は、暗唱できることを目標にラジオロシア語講座のロシア語部分をひたすら聞いています。
 べつに内容的に面白いことを言っているわけではないです。「雨が降った」とか「あなたはいくつですか?」とか。
 最初の頃、かなりビビったのは「みている文字(文章)」と「会話(音声)」がさっぱり結びつかないことです。
 文意はとても簡単なのに、耳が追いつかない。
 あまりの乖離ぶりに軽くカルチャーショックを受け、「文字を読む」と「音を聴く」というのは本当に別々の能力だとしみじみ痛感しました。
 
 言語の形成過程において、「文字」というのはだいぶ後からになって発達してきたものです。
 それまでは「会話」つまり「音声」がメインでした。
 アイヌやアボリジニなどの民族は文字を持たない、というと現代の我々には不便で奇妙に聞こえるけど、進化論的には音だけだった時期のほうが圧倒的に長いはずなのです。
 だから、両者が別々の能力であったとしても普通なわけです。 

 外国語を耳で覚えるのは、文字を解読するよりも「音楽」に近い気がします。
 いわく「耳がいい人は外国語を覚えるのが得意」なんだそうな。
 以前読んだ本で、人間は自分が発音できる音しか聞き取れないそうです。
 それをあわせて考えると、人間の耳は生得的にノイズキャンセリング機能が備わっていて、母国語に含まれない音は無意識のうちに「聞こえないコト」にされている気がします。
 しかし、その「ノイズキャンセリング機能」をわざと外している人々がいます。
 「音楽」をする人です。
 音に敏感な彼らは人が気付かない音、ふつうはノイズとしてキャンセルしてしまっている音にも敏感だと思います。

 ぽにょをうたうゴスペルの人たち。
   

 彼らが歌詞の意味を完全に理解しているかどうかはわからないですよね。
 けど、音はほぼ完全に再現しているのではないかな、と思います。

 うちのロシア語の先生も「音楽関係の人にロシア語を教えたときはみんな会話はスムーズに上達した」っていってられましたw  

Posted by キミドリ at 07:00Comments(2)外国語