2008年04月30日
私が医師をやめた理由。 その8
気がつくと、8回目・・・
個人的でわりと深刻な話に付き合っていただき、心のこもったコメントまでいただいております。ありがとうございますm(_ _)m。
磨耗してしまった感情ら判断力やらを取り戻すために、切り絵をはじめとする創作活動に勤しんでいたわけですが・・・。
正直、あんまり外に出て行きたくはありませんでした。
まぁ、そうはいってもあちこち出歩いていましたが。
「繊細さ」というのはそれまでの自分にとってはわりと邪魔だなぁ、と感じていました。
まー、性格上、職業柄、迅速な判断が求められることが多かったのでしょうがなかったのかもしれませんが・・・
迷ったり悩んだりする姿を人に見せるのは苦手です。
というか、そんな姿を他人に晒したところでロクな目にあったことがないなぁ、というのが感想です。
心理学で「影」と言う概念があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B1#.E5.BF.83.E7.90.86.E5.AD.A6.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E5.BD.B1
簡単に言うと「その人の生きられなかった部分」。
・・・。
全然簡単じゃないですね、「ナニイッテンダ!」と怒られそうです。
よく女性はドラマでも(おそらく)現実でも結婚を機に「仕事」か「家庭」かという選択が行われます。
たとえば、「27歳のとき、長年付き合ってきた彼がプロポーズしてくれた。気持ちはうれしい。でも、ちょうど仕事も面白くなってきた・・・、で、どうする??」みたいな。
1.プロポーズを受けて、家庭に入る。
2.家庭より、仕事を取る。
まぁ、もっと具体的な妥協案とか折衷案とかあると思いますが、とりあえず、例示のため分かりやすく端的にしてみました。
で、その人の背景や心情は別にすれば、別にどっちも正解なんですよ。正直。
で、もし、彼女が1をとれば「仕事をしたかった自分」が彼女の「影」になります。
もちろん、人間全てを選べるわけではないのでその後の彼女は「妻」として生きていくわけです。
それはそれでいいのですが、もし、「妻を選んだ自分が正しくて、仕事をしたかった自分を抑圧し否定する」ようなことが続くとすればある日突然その「影」から仕返しを受けたりします。
たとえば突然どうしようもない空虚感を覚えたりする、とかワケもなくだんなさんに当り散らしたりするとか。
えー、上のは例示です。あくまでも例示です。
もし、上の箇所を読んで思い当たる節があったとしても120%私の頭の中のフィクションなので、ご安心を。
もともとユングが好きで、河合隼雄が好きだったのもあって、精神科医になりたかったので、大体いっつもこんなふうに物事を見ています。
つまり「繊細さ」や「迷い」が私の「影」だったわけです。
そこまでわかっているのに、じゃあなんでいきづまったの??
と思われるかもしれませんが、「影」のしっぺがえしはある程度、本体が行き着くところまで行かないと出てきません。
ただ、もしこのままいっていたら自分の中の「繊細さ」は日の目を見ぬままだったかもしれない、ということです。
「しっぺ返し」といいましたが、べつに「影」は悪いわけでもなんでもなくただ単に「別の可能性」と思ってもらえるといいかもしれません。
このテのハナシは、もし興味がある方がいらっしゃいましたら私を捕まえてください。たぶん、延々と喋ってると思います・・・

「行き着くところまで行き着いたら、次が始まる」のはこの図(陰陽の図)を見てもらったほうがいいかもしれませんね。
個人的でわりと深刻な話に付き合っていただき、心のこもったコメントまでいただいております。ありがとうございますm(_ _)m。
磨耗してしまった感情ら判断力やらを取り戻すために、切り絵をはじめとする創作活動に勤しんでいたわけですが・・・。
正直、あんまり外に出て行きたくはありませんでした。
まぁ、そうはいってもあちこち出歩いていましたが。
「繊細さ」というのはそれまでの自分にとってはわりと邪魔だなぁ、と感じていました。
まー、性格上、職業柄、迅速な判断が求められることが多かったのでしょうがなかったのかもしれませんが・・・
迷ったり悩んだりする姿を人に見せるのは苦手です。
というか、そんな姿を他人に晒したところでロクな目にあったことがないなぁ、というのが感想です。
心理学で「影」と言う概念があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B1#.E5.BF.83.E7.90.86.E5.AD.A6.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E5.BD.B1
簡単に言うと「その人の生きられなかった部分」。
・・・。
全然簡単じゃないですね、「ナニイッテンダ!」と怒られそうです。
よく女性はドラマでも(おそらく)現実でも結婚を機に「仕事」か「家庭」かという選択が行われます。
たとえば、「27歳のとき、長年付き合ってきた彼がプロポーズしてくれた。気持ちはうれしい。でも、ちょうど仕事も面白くなってきた・・・、で、どうする??」みたいな。
1.プロポーズを受けて、家庭に入る。
2.家庭より、仕事を取る。
まぁ、もっと具体的な妥協案とか折衷案とかあると思いますが、とりあえず、例示のため分かりやすく端的にしてみました。
で、その人の背景や心情は別にすれば、別にどっちも正解なんですよ。正直。
で、もし、彼女が1をとれば「仕事をしたかった自分」が彼女の「影」になります。
もちろん、人間全てを選べるわけではないのでその後の彼女は「妻」として生きていくわけです。
それはそれでいいのですが、もし、「妻を選んだ自分が正しくて、仕事をしたかった自分を抑圧し否定する」ようなことが続くとすればある日突然その「影」から仕返しを受けたりします。
たとえば突然どうしようもない空虚感を覚えたりする、とかワケもなくだんなさんに当り散らしたりするとか。
えー、上のは例示です。あくまでも例示です。
もし、上の箇所を読んで思い当たる節があったとしても120%私の頭の中のフィクションなので、ご安心を。
もともとユングが好きで、河合隼雄が好きだったのもあって、精神科医になりたかったので、大体いっつもこんなふうに物事を見ています。
つまり「繊細さ」や「迷い」が私の「影」だったわけです。
そこまでわかっているのに、じゃあなんでいきづまったの??
と思われるかもしれませんが、「影」のしっぺがえしはある程度、本体が行き着くところまで行かないと出てきません。
ただ、もしこのままいっていたら自分の中の「繊細さ」は日の目を見ぬままだったかもしれない、ということです。
「しっぺ返し」といいましたが、べつに「影」は悪いわけでもなんでもなくただ単に「別の可能性」と思ってもらえるといいかもしれません。
このテのハナシは、もし興味がある方がいらっしゃいましたら私を捕まえてください。たぶん、延々と喋ってると思います・・・

「行き着くところまで行き着いたら、次が始まる」のはこの図(陰陽の図)を見てもらったほうがいいかもしれませんね。
2008年04月29日
私が医師をやめた理由。 その7

究極の問いかけです。
「もし、あなたが『視覚』か『聴覚』を失うとしたら、どちらを選びますか??」。
大概の人は「視覚」と答えるでしょう。
でも、実際では「聴覚のほうが失いたくない」らしいです。
なぜか??
それは耳が聞こえないと人とのコミュニケーションがとりづらくなるから。
らしいです。
むかし、耳鼻科の講義で聞いた話です。
精神科に働いている時に「リエゾン」という診療がありました。
他の科で精神症状を呈している人の診療です。
手術後のがん患者さんの診察が多かったです。
彼らはストレスが大きく、うつ症状を呈することも珍しくなかったからです。
いろんなケースがありましたが、頭頚部のがん術後の方はとくに深刻でした。
のどのあたりを触っているので、術後、すぐには声が出ないからです。
自分のコトを訴えられないからです。
かようなまでに「コミュニケーションの不在」は人にすぐに深刻な影響となって現れます。
「人はパンのみで生きるにあらず。」とはよく言ったもので(本来の意味とはちと違いますが・・・)。
精神疾患でも他の病気でも、あるいは健全な方でも、表現の手段を持つ、というのはあるとなしとでは雲泥の差ではないか、とよく感じます。
精神科のリハビリでも絵を描いたり陶器を作ったりする光景はよく目にしました。
そのときの自分の思いやカタチにする作業です。
私も切り絵をしながら、よく「ぼーっ」としていました。
「色彩心理学」といわれる分野があります。
色彩が心理に及ぼす影響を扱う分野ですね。
でも、逆から言えば、「色」とは言語以前の表現の手段です。
こどものお絵かきをイメージしていただければわかりやすいかと。
切り絵をしながら色を使ってそのときの自分を表現していたんだと思います。
「表現」というと一般に他人に向かってするものと思いますが、判断力も感情も摩滅してしまったそのときの私は自分に向かって表現していました。
「もし、あなたが『視覚』か『聴覚』を失うとしたら、どちらを選びますか??」。
大概の人は「視覚」と答えるでしょう。
でも、実際では「聴覚のほうが失いたくない」らしいです。
なぜか??
それは耳が聞こえないと人とのコミュニケーションがとりづらくなるから。
らしいです。
むかし、耳鼻科の講義で聞いた話です。
精神科に働いている時に「リエゾン」という診療がありました。
他の科で精神症状を呈している人の診療です。
手術後のがん患者さんの診察が多かったです。
彼らはストレスが大きく、うつ症状を呈することも珍しくなかったからです。
いろんなケースがありましたが、頭頚部のがん術後の方はとくに深刻でした。
のどのあたりを触っているので、術後、すぐには声が出ないからです。
自分のコトを訴えられないからです。
かようなまでに「コミュニケーションの不在」は人にすぐに深刻な影響となって現れます。
「人はパンのみで生きるにあらず。」とはよく言ったもので(本来の意味とはちと違いますが・・・)。
精神疾患でも他の病気でも、あるいは健全な方でも、表現の手段を持つ、というのはあるとなしとでは雲泥の差ではないか、とよく感じます。
精神科のリハビリでも絵を描いたり陶器を作ったりする光景はよく目にしました。
そのときの自分の思いやカタチにする作業です。
私も切り絵をしながら、よく「ぼーっ」としていました。
「色彩心理学」といわれる分野があります。
色彩が心理に及ぼす影響を扱う分野ですね。
でも、逆から言えば、「色」とは言語以前の表現の手段です。
こどものお絵かきをイメージしていただければわかりやすいかと。
切り絵をしながら色を使ってそのときの自分を表現していたんだと思います。
「表現」というと一般に他人に向かってするものと思いますが、判断力も感情も摩滅してしまったそのときの私は自分に向かって表現していました。
2008年04月28日
私が医師をやめた理由。 その6
精神科のリハビリの一環に「作業療法」があります。
軽作業を一定時間する。
そのほうが却って、気持ちが落ち着くというものです。
また「芸術療法」というのもあります。
絵を描いたり、塗り絵を塗ったり。コラージュしたり。
何らかのカタチで自分の表現をする、というものです。
調子を崩してから、切り絵をしたり、ビーズをしていました。
いままでにないくらいの集中力に、正直驚いていました。
といっても、あいかわらず寝る時間は多かったです。
私が小児科で研修しているとき、入院している担当の男の子がよく折り紙をしていました。
子供特有の集中力でふくろが3つも4つもいっぱいになるくらい折っていました。
もともとそういう手作業が好きな男の子なのかな??と思いお母さんに尋ねると、答えはNoでした。
入院して、先生に動くのを禁止されてからし始めた、と。
私も手を動かしながら、そのことを思い出していました。
やっぱり「外」にエネルギーが行かなくなると、「内」に向かうものだし、それは「表現」というものを必然的に求めるのだな、とぼんやり考えながら。
軽作業を一定時間する。
そのほうが却って、気持ちが落ち着くというものです。
また「芸術療法」というのもあります。
絵を描いたり、塗り絵を塗ったり。コラージュしたり。
何らかのカタチで自分の表現をする、というものです。
調子を崩してから、切り絵をしたり、ビーズをしていました。
いままでにないくらいの集中力に、正直驚いていました。
といっても、あいかわらず寝る時間は多かったです。
私が小児科で研修しているとき、入院している担当の男の子がよく折り紙をしていました。
子供特有の集中力でふくろが3つも4つもいっぱいになるくらい折っていました。
もともとそういう手作業が好きな男の子なのかな??と思いお母さんに尋ねると、答えはNoでした。
入院して、先生に動くのを禁止されてからし始めた、と。
私も手を動かしながら、そのことを思い出していました。
やっぱり「外」にエネルギーが行かなくなると、「内」に向かうものだし、それは「表現」というものを必然的に求めるのだな、とぼんやり考えながら。
2008年04月27日
私が医師をやめた理由。 その5
イチバン調子が悪かったのは去年の年末です。
まぁ、もともとは健全だったこと、食欲はあったことなどを考え合わせれば自分はうつの中でも比較的軽いほうだという自覚はありました(うつ病になると食欲が落ち、急激に体重が減ることが多々ある。また、繰り返す病気なので以前の病歴も大切)。
知識が役に立った一例でしょうか。
でも、私の状態を見てくれた精神科の先生によると一時は投薬も考えたそうです。
まぁ、それでも年末の特番のテレビを見て笑ったりは出来ていたのです。
ツタヤでビデオを借りてみたりもしていました。
と言うか、行動力が激減した状態では、DVD鑑賞が精一杯。
それでも頭の中で内容を検討したり出来ていたので、まだ集中力は保たれているなー、と頭の片隅では考えていたりしました。
うつ状態になると「決断」や「選択」が遅くなります。
いつもならすぐに決断できることがなかなか出来ず、ツタヤでどのビデオを借りるか普段の2倍くらいの時間がかかりました。
「教科書には書いてあったけど、ウツっぽくなると思考力や判断能力が落ちるって本当だな。」と実感したり。
で、いろいろ目移りするわりには「借りて面白くなかったらどうしよう?」とか。ふだんならあまり考えないようなこととか考えるし、そんな自分に「あ、やばい。やっぱフツウじゃないわ」と気がついて、ひとり頭の中ラットレース状態。
とりあえず、年が明けてからは何とか持ち直しましたが・・・。
まぁ、もともとは健全だったこと、食欲はあったことなどを考え合わせれば自分はうつの中でも比較的軽いほうだという自覚はありました(うつ病になると食欲が落ち、急激に体重が減ることが多々ある。また、繰り返す病気なので以前の病歴も大切)。
知識が役に立った一例でしょうか。
でも、私の状態を見てくれた精神科の先生によると一時は投薬も考えたそうです。
まぁ、それでも年末の特番のテレビを見て笑ったりは出来ていたのです。
ツタヤでビデオを借りてみたりもしていました。
と言うか、行動力が激減した状態では、DVD鑑賞が精一杯。
それでも頭の中で内容を検討したり出来ていたので、まだ集中力は保たれているなー、と頭の片隅では考えていたりしました。
うつ状態になると「決断」や「選択」が遅くなります。
いつもならすぐに決断できることがなかなか出来ず、ツタヤでどのビデオを借りるか普段の2倍くらいの時間がかかりました。
「教科書には書いてあったけど、ウツっぽくなると思考力や判断能力が落ちるって本当だな。」と実感したり。
で、いろいろ目移りするわりには「借りて面白くなかったらどうしよう?」とか。ふだんならあまり考えないようなこととか考えるし、そんな自分に「あ、やばい。やっぱフツウじゃないわ」と気がついて、ひとり頭の中ラットレース状態。
とりあえず、年が明けてからは何とか持ち直しましたが・・・。
2008年04月26日
私が医師をやめた理由。 その4
昨日は「追い詰められる過程」というのがわりと淡々と進んでいく、というのを書きましたが・・・
一日のアクセス数が100を超えたので驚いています。
いいんだか・・・悪いんだか・・・
「休職」を願い出たときもそうとうギリギリでした。
「このまま行ったら朝起きられなくなる
」
合理的な判断とかを飛び越え、ココまで来るともう「野生のカン」。
「交渉」のためのエネルギーがかろうじて残っている現時点でいわないともっとひどいことになる。
そう、もっと「ひどいこと」にだってなりえたのです。
結局、休職を申請して、1週間後からお休みをいただきました。
しかし、その1週間、どうやってすごしていたか、よく覚えていません。
とりあえず、気力だけで乗り切っていました。
とりあえず、あとに迷惑がかからないようにと、思いつく限りのコトをしました。
「お休みをいただく」とほかの先生に言ったけど、みんなどんな顔をしていたのか覚えていません。
どんな反応をされるのかも怖かったけど、そんなことを気にする余裕もなかったんだと思います。
そしてお休みをいただきました。
お休みに入ったときも、「ほっとした」とか「安心した」とかいうよりも「自分の一存で辞めてしまった」という感覚のほうが強かったです。
「自分が志した職業なのに、挫折してしまった」という自分に対する不全感・不信感。
しかし、判断力はかなり失われたままで、何が良くて悪かったのか原因を分析することもできないし、感情もかなり麻痺してしまっていたので毎日さめざめと泣くというよりは呆然としていました。
精神科的には「泣ける」のは良いことだとされています。
自分がうけたショックに応じた適切な感情表現は健全な証拠だからです。
そのとき、母と一緒に旅行に行きました。12月の上旬です。
きちんと楽しむことは出来ましたが、普段に比べればずっと眠る時間が長かったです。
「不眠or過眠」もうつ状態の症状です。
しんどくて、起きてられない。
旅行は旅行で楽しかったのですが、自分が思っている以上に「病」が深いことははっきり自覚しました。これから2-3ヶ月はずっと元気がないままだろう、と。
一日のアクセス数が100を超えたので驚いています。
いいんだか・・・悪いんだか・・・
「休職」を願い出たときもそうとうギリギリでした。
「このまま行ったら朝起きられなくなる

合理的な判断とかを飛び越え、ココまで来るともう「野生のカン」。
「交渉」のためのエネルギーがかろうじて残っている現時点でいわないともっとひどいことになる。
そう、もっと「ひどいこと」にだってなりえたのです。
結局、休職を申請して、1週間後からお休みをいただきました。
しかし、その1週間、どうやってすごしていたか、よく覚えていません。
とりあえず、気力だけで乗り切っていました。
とりあえず、あとに迷惑がかからないようにと、思いつく限りのコトをしました。
「お休みをいただく」とほかの先生に言ったけど、みんなどんな顔をしていたのか覚えていません。
どんな反応をされるのかも怖かったけど、そんなことを気にする余裕もなかったんだと思います。
そしてお休みをいただきました。
お休みに入ったときも、「ほっとした」とか「安心した」とかいうよりも「自分の一存で辞めてしまった」という感覚のほうが強かったです。
「自分が志した職業なのに、挫折してしまった」という自分に対する不全感・不信感。
しかし、判断力はかなり失われたままで、何が良くて悪かったのか原因を分析することもできないし、感情もかなり麻痺してしまっていたので毎日さめざめと泣くというよりは呆然としていました。
精神科的には「泣ける」のは良いことだとされています。
自分がうけたショックに応じた適切な感情表現は健全な証拠だからです。
そのとき、母と一緒に旅行に行きました。12月の上旬です。
きちんと楽しむことは出来ましたが、普段に比べればずっと眠る時間が長かったです。
「不眠or過眠」もうつ状態の症状です。
しんどくて、起きてられない。
旅行は旅行で楽しかったのですが、自分が思っている以上に「病」が深いことははっきり自覚しました。これから2-3ヶ月はずっと元気がないままだろう、と。