はじめての宗教論 左巻 -第3章 神学入門1 その1-

キミドリ

2011年10月11日 14:21



第3章キリスト教神学入門①知の全体像をつかむために
緒方純雄先生のアドバイス
神学のあらまし①-聖書神学と歴史神学
神学のあらまし②-体系知としての組織神学
神学のあらまし③-実践神学
大学で習得すべき語学とは?
「合理的」と「実証的」
すべては救済へ至る「道」
火宅の人、バルト
象徴ではなく思想が重要
教会は何のためにあるのか



緒方純雄先生のアドバイス
 シュライエルマッハーの「神学通論」をポイントに即してみて行く。彼のナショナリズム観もこの本に一貫して流れている。この本は神学の書であるとともに国家についての学でもあった。

神学のあらまし①-聖書神学と歴史神学
神学のあらまし②-体系知としての組織神学
神学のあらまし③-実践神学

 聖書神学、歴史神学、組織神学、実践神学の4つに分けられ、最も重要なのは実践神学である。なぜなら、キリスト教は救済宗教であり、実践神学を補助するために他の神学が存在する。
 聖書神学:旧約聖書学と新約聖書学に分かれる。
 歴史神学:教会史と教理史に分かれ、教会の歴史・教理の歴史について勉強する。
 組織神学:教養学、倫理学、宗教哲学。16世紀に護教学として登場した。
 実践神学:牧会学(牧師になった時どう信者と関係を作っていくのか、典礼の作法を学ぶ)、説教学(聖書の解釈)、教会音楽に分かれる。 

大学で習得すべき語学とは?
 旧制高校で必須だった、フランス語、ドイツ語、英語の3つ。

「合理的」と「実証的」
 神学とは、その語がここで用いられている意味からすれば、一つの実証学的な学(eine positive Wissenschaft)である。

「実証的(ドイツ語のポジティフ、英語のポジティブ)」であるかどうかをどう判断するか?それは理性である。理性に基づく話は全員が共通して理解でき、皆の意見が一致する。
 だから理性に基づく実証的な話は全員が賛成できる。
 合理的であることも同じ意味だが、シュライエルマッハーはそれをあえてずらした。
 つまり、合理と実証を切りはなした。そして、合理的であっても実証できないこともあるそして、逆もあるとする考え方が出てきた。
 本質的には神は合理的な枠を逸した存在であり、合理性で完全に説明できるものはキリスト教の神としては異質なものだ、とした。

すべては救済へ至る「道」
 学問とは体系的に対象を認知する、つまり「体系知」である。知識だけを蓄積しても意味がなく、方法論が必要である。
 方法論とは「道」にようなもので、方法論が確定すると結論が決まる。
 神学の最終目的は「神」である。そして、神を知ることが人間の救済になる。
 神学の概略をしるには、カール・バルトの教会学義学がおすすめ。

火宅の人、バルト
 愛人に口述筆記させて描いた。愛人が途中で亡くなったので中断した。

象徴ではなく思想が重要
 第一節の注釈に、合理的神学は思弁的な学であって、われわれの神学とはまったく異なるとある。神学は理性的な学ではないとのことだが、これはヘーゲルへの当てこすりである。
 「神学」は信仰の上に成り立っている。神学の無い信仰はあるが、逆はない。
 第二節は以下の様な書き出しである。

 ある一定の信仰の在り方が、それが象徴的行為よりも思想的表象によって自己を伝達するようになり、それと同時に歴史的な意義や自律性を獲得してくるに従い、その程度に応じて神学を形成するようになる。

 ここでいう象徴的行為、とはひらたくいうとパンとブドウ酒を分け合う聖餐式や洗礼などの宗教的儀式である。
 シュライエルマッハーはパンとブドウ酒などの象徴的行為ではなく、思想的な表現によって自己を示すのが神学だ、とする。また、思想的なもののレベルが上がるにつれて神学は発展していく。
 この「哲学や思想の発展に合わせて神学も発展していく」という考え方が彼の受肉論解釈に当てはまる。彼の中には物事は常に発展していくという一種の進化論があり、人間の内面の絶対依存の感情は常に発展しており、絶えず自己表現を重ね、具体的な形に受肉していくとする。
 
教会は何のためにあるのか
 神学はエリートの学問であり、それによって大衆を導いていく。シュライエルマッハーによるとすべての学問は神学の補助学である。神学とは体制側のエリートの学問である。だから、そのまま政治学に応用することも可能である。
 教会は何のためにあるのか?キリスト教にとって、救済はイエスキリストが下りてきたことで始まっているが、まだ完了していない。終末(救済の完成)は遅延しているがその中で、救済は教会によって担保されている。




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