はじめての宗教論 右巻 ー第6章 宗教と類型ー

キミドリ

2011年10月02日 07:00



第6章 宗教と類型-日本人にとって神学とは何か?
<目次>
キリスト教における類型とは?
モナドロジーの考え方
「全体」には複数ある
クロノスとカイロス
歴史と類型
キリスト教をどう土着化させるか
創造神話という地盤
日本キリスト教の実践的課題
アジア類型のキリスト教?
魚木神学の功績
優れた神学書の条件
具体化されなけば無意味である
倫理という過酷な決断
再び、なぜ宗教を考察するのか
神の場の転換



キリスト教における類型とは?
 宗教は文化の一形態。
 純粋なキリスト教はありえず、文化と融合して成立する不純なもの(類型)。
 キリスト教には文化の数だけ類型がある。
 
モナドロジーの考え方
「全体」には複数ある

 ドイツは哲学が発展したが、それにはライプニッツが大きな貢献をした。
 ライプニッツはカトリックとプロテスタントを統合しようとした。彼の考えはモナドロジー(単子論)とよばれている。
 モナド(単子)はお互いに完結していて、出入りする窓を持っていない。神によらずして生じることもなければ、神によらずして消えることもない。
 極小のものから極大のものまでモナドが無数にあり、神によってつくられたモナドにはそれぞれ風船のように紐がついていて、その紐は神のところでおさえられているのでモナド間の交通は神を経由することによって可能となる。

クロノスとカイロス
 クロノス:順番に流れていく時間
 カイロス:タイミング
 クロノスに対してカイロスが介入してくる、つまり順番に流れる時間に特定の出来事が介入することで物事が変化する。

 クロノスに基づいて歴史をまとめると、ドイツ語のヒストリー(編年史)。
 カイロスとクロノスを結び付けて物語を作ると、ドイツ語のゲシヒテ(歴史、英語のヒストリー)となる。

歴史と類型
 きわめて近代的。どの出来事がどういう意味があるか、というのは現在の時点からの特定の視点が必要で歴史観が重要となる。
 それぞれの国から見たそれぞれの世界史がある。
 唯一絶対の世界史は存在せず、そこから、類型という考え方が出てくる。

キリスト教をどう土着化させるか
 キリスト教の本質を理解するには、歴史についての反省と検討が必要。キリスト教には聖書があるが、それだけではわからず、現代神学だけでもわからない。キリスト教は日本とは異なる歴史的経緯によって出来上がったのもであるので、歴史についての理解が必要。
 日本でももちろん、キリスト教は日本的な類型としてあらわれてくる。
 日本でが救われるために知識を身に着ける仏教が先にあったため、キリスト教の本質が救済宗教だと早く気づけた。
 しかし、仏教が救済に関して見事なドクトリンを展開しているため、相当掘り下げないとキリスト教に帰依するものがいなくなる。

創造神話という地盤
 日本の神々が無から物事を作り出す創世神話は、キリスト教の創造信仰と類似しており、受け入れられやすかった。

日本キリスト教の実践的課題
アジア類型のキリスト教?

魚木神学の功績
 本書で作者が意図するのは、類型を突き抜け普遍的なものに至ることである。
 日本の優れた神学者、魚木は特権を持ったことのないキリスト教教徒は、日本の宗教的土壌・伝統に根付いている救済という概念を通して、キリスト教という流れに行きついたのであるという一種の土着論化を行った。

優れた神学書の条件
 読むと同時に自分も読まれる。融合と対話が起こってくる。

具体化されなけば無意味である
倫理という過酷な決断

 現代日本にもさまざまな苦難に満ちている。苦難の根元には悪がある。そして、悪を生み出したのが人間の罪である。イエスはこのような苦しむ人たちと正面から向き合い、行動することによって悪と戦った。
 受肉について。
 全知全能の絶対的な神は字お重速吸うrことを望まず、また罪を犯した人間を滅亡させることもせずに、神の一人子をこの世に送り、仲介者とすることで、人間を救うという決断をした。ここから受肉論を基礎に倫理を考える。
 理念とは必ず具体的な何かに受肉する。必ず形をとる。受肉論がキリスト教の大きな特徴である。
 社会においても生じる。たとえば貨幣である。
 人間の行動も受肉によってすべては個別的な出来事になっている。
 
再び、なぜ宗教を考察するのか
神の場の転換
 神無き世俗化の時代、ヒューマニズムの時代において人間の合理性の実が突出し、自分たちが思う形で世の中を設計できると思ってしまう。それによって神の座に自分を置いてしまう。そのために色々なトラブルが起きている。これが偶像崇拝の罪である。

 神の啓示は我々の外から訪れ、人間のちっぽけな実存を破壊する。
 しかし、近代になるとこのような外部性は捨象され、人間の内面が肥大化していく。人間の自己絶対化はここから生じた。
 近代は自己完結した「内面の世界」が誕生するとともに、厄災の時代が始まった。


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